Fabrics

商品に用いている伝統的な織物を紹介します

 

博多織

​博多織織元 井上絹織株式会社での製織風景

 博多織は京都の西陣織、群馬の桐生織と並ぶ高級絹織物として知られています。

 その歴史は古く、鎌倉時代に博多の町人が中国(宋)への留学から持ち帰ったのが起源と言われています。当時の中国は、インドから渡ってきた仏教と、中国発祥の老荘思想や儒教との化学反応が進み、禅宗に象徴されるような高度な精神文化が醸成された時期でした。そのような時代に中国から渡ってきた博多織を象徴するのが「献上柄」です。仏教(密教)法具をモチーフにした図柄と、儒教的な意味を持つ縞模様が同居している献上柄は、当時の東アジアの高度な知恵と祈りを今に伝え、大陸との玄関口博多ならではのものです。

ちなみに「献上柄」という呼び名は江戸時代に当時の福岡藩主(黒田藩)が幕府への献上品として博多織を用いていたために名付けられたものです。 

 絹で織りなされた博多織の生地は、高密度のたて糸に太いよこ糸を打ち込むことにより、堅牢な地合いと美しい光沢が同居していることが特長です。

献上柄

​縞

​縞

独鈷

​華皿

独鈷(とっこ・どっこ)
 密教法具の一つ。煩悩を打ち払う意味を持つ。

華皿(はなざら)
 仏様や菩薩を供養する「散華」に用いる花や葉を入れる皿。
 悪を払い、場を清める意味をもつ。

縞(しま)
 太線が親、細線が子を表し、親が子を守り、子が親を敬う姿を表す。

 

久留米絣

久留米絣織元 野村織物での製織風景

 留米絣は綿織物の中でも広島の備後、愛媛の伊予と並ぶ三大絣(かすり)の一つと称されます。

 旧久留米藩の江戸末期(1800年頃)、井上伝という一人の少女が、木綿の生地を織る前に糸を染め分けて絵柄を織り出す方法を考案し、爆発的な人気を博したことが久留米絣の基礎を築きました。
彼女が考案したのは、綿の糸を染めるときに一定の間隔で糸を縛り、その縛られたところが白く残ることを利用して染め分けるという方法です。その糸を使って製織する際に生じる微妙な誤差がかすれた様な風合いをもつため、絣(かすり)をよばれるようになったと言われます。
 また木綿は日本古来のものではなく、インドで2000年以上前から栽培されていたものが中国に渡り、八世紀に日本に渡ってきたものが江戸期になってはじめて一般に普及を始めたと言われます。久留米絣はその普及の過程でデザイン面で新たな息吹を吹き込んだと言えます。
 当時は藍染が主流で、丈夫で色落ちしにくく、主に庶民の日常衣料として用いられました。

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